ある時、体調を著しく崩して以前から通っていた鍼灸院へと向かった。
ここの鍼の先生には他の人とは少し違うものを感じていた。
一般的な感覚から逸脱していて、自分の中のブロックが少なく社会の洗脳から逃れている人。
鍼の効果も高いので当然治療目的ではある。
でもそれ以上に毎回先生との話が楽しく、施術後はいつも気分がかなり明るくなっていた。
まるでカウンセリングだった。
私の曇った視界をパッと晴らしてくれる。
目から鱗をバリバリと剥がしてくれるような感覚が大好きだった。
そんな先生と仕事の話をしていて、『適性』という言葉が出てきた。
自分(先生)は医療の適性があっただけ。自分の子供には全く別の適性がありますよ、と。
医療の適性ってなんだろう?と思って尋ねてみると、先生曰く『他人に興味を持てるか』なのだそう。
意外だった。
もっと「共感力の高さ」だとか「癒してあげたいという気持ち」だと思っていたから。
でも確かにそうだ。
そもそも他人に興味を持てなければ、どうしてそのような症状が出ているのか、どうやって治癒していくのか、何が一番の原因になっているのかなどもリサーチできない。
仮に興味なく事務的にやったとしても、それは患者さんに伝わるし真剣度が全く違うのだから施術にも当然影響が出てくるだろう。
それにそもそも医療の仕事を継続できずにやめてしまうかもしれない。
医療系の仕事にはコミニュケーション能力が大事だという事はわかっていたけれど、それが一番の適性だったとは。
この話を聞いてふと気になったのが「じゃあ私には何の適性があるのだろうか?」ということ。
先生の話を聞きながら「あ、私他人に興味ない。」と思っていたからだ。
小さな頃から私が一番好きなこと。
それは私の中の世界。自分の世界。
その世界にどっぷりと浸かること。
その時間が一番幸せで一番心地よい。
先生の話を聞き、その時の自分の気持ちをハッと思い出した。
だから先生に率直に尋ねてみた。
「私、他人に興味ないです。自分の中の世界にどっぷり浸かっていたくて。自分の心がどう動くかにしか興味がないみたいです。これって何の適性があると思いますか?」
「クリエイティブ系に適性があると思いますよ」
先生の言葉を聞いて「あぁ…」と思った。
気付いてしまうと大変な道へと進まないといけないと思い込んでいたから。
だってクリエイティブ系って仕事としてやっていくにはとても難しいんじゃないか?
クリエイティブ系よりも、医療系だったり工業系だったりサービス系の仕事だったりする方が安定していて人に認められるんじゃないか。
自分に才能が無いと、何かを表現してもただ虚しいだけなんじゃないか。
それに、
そう思って、自分を適性がない方へない方へと進ませようとしていたのだ。
私の基準は“自分が楽しいかどうか”ではなく、“人に認められるか否か”だったから、こんなふうに否定していた。
「ああ、もう自分を認めてあげていいんだ」
私は自分のオリジナルな創造性を表現したい。
この強い気持ちはずっと私の中にあったことを認めてあげられた。
面白いことに、こうやって自分を認めてあげると昔からすでに出ていたサインがどんどん思い出されてきた。
作ることが大好きだから、小さな頃から工作が得意だった。新しい物を買うのではなく、不要になった空箱等を利用して、何か別のものを作り出すが好きだった。
子供の頃から文章を書くのが大好きで、物語を書いたりオリジナルの新聞を作っては祖母や親にプレゼントして喜ばれていた。
習字をしていて字を書くのも好きだったから、意味もなく延々と文字をメモ帳に書いていた。
辛いことがあって言葉にできない気持ちを言語化して伝えられたり、そのことから気づきが得られた時は辛いことなんて吹っ飛ぶくらい喜びと満足感と感謝に満たされる。
そして、同じ“作ること”でも最初は好きだったのに苦痛になってしまう原因にも気づけた。
それは『自分から湧き上がってきたものを表現していないとき』。
誰かに何かを習ったとしても、それはその人のやり方であるから、どうしても途中から興味が失せてしまう。
あーそっかぁ、自分の中から湧き出てきたものの表現ではないからすぐ飽きてしまうのか。
料理も裁縫も好きだけど、テキストに従って再現しているだけだと途端に苦痛になってしまうのだ。
自分のアイデアよりも周りの目や評価を優先した時もそう。
芋づる式に思い出されて全てが繋がり、目の前がパァーッと明るくなった。
こんなにも自分はサインを送り続けてきてくれていたのに、ずっと無視し続けて別の場所を見ていたのか。
だけど成長していくにつれ、人と関わる機会が増えてから「もっと人に興味持たないといけない。友人を作らなければいけない。もっと人と関わらなければいけない。そうしないとダメな人間だと思われる。」と思い、自分を矯正し続けてきていた。
“人に興味がない”だなんて堂々と言ってしまうと、絶対おかしい人だと思われる。嫌われる。
友達は多い方がいいことみたいだし。
でももうきっと大丈夫。もう怖くない。
私は人に興味が持てなくてもいい。
私は私の世界に浸っていていい。
自分の世界に浸るのが好きだからこそ、私はこれからも作品を生み出していける。
私はこの性質じゃないとダメだったんだ。
『仕事』に囚われなくてもよくて、私はただこの人生で『表現』をすることができれば満足だったんだ。
本当の自分に出会えた気がして心の底から満たされた。