【vol.2】36才無職、病気を抱えながら初めての恋人と結婚した話【闘病編】

こちらの記事はvol.1の続きです。

目次

さらに遠のく恋愛の影

高校卒業し、私にとって地獄のような学校から逃れられたのは良かったけれど、当然出会いは減って恋愛は私の人生からさらに遠のいていった。

心を病んでいた私は毎日生きるだけで精一杯。

人とのコミュニケーションが怖くてたまらなかったけれど、人には悟られないように必死に隠していた。

弱い自分を晒してしまうと、自分を構成しているものやこれまでの人生がガラガラと崩れ去ってしまうような恐怖を感じていたから。

常に怯えて緊張しているような状態だったので、優しい人には驚くほど弱かった。
ビクビクした心に安心感を与えてくれる人を求めていたのだ。

出会いが減ったとはいえ、包容力のある親切な年上男性とは仕事や日常生活で接することがあった。

でも、私に優しい人は決まって他の人にも優しいだった。
私を傷つけないような善良で無害そうな人。

そのような人は決まって既婚者であった。

でもそれでよかった。

家族を大事にするその人に惹かれていたから。

もし仮に何らかのミラクルが起こってその人が私に振り向くようなことがあったとしたら、私はおそらくその人への興味を一気になくしていただろう。

恋愛なんてどうでもいい。ただ生きたい。

心の病で仕事も続かず、改善するどころか悪化していく日々。

心の中では普通になれない自分を常に罰していた。

20代半ばに少しの間だけ向精神薬を服用したが、体に合わず断薬に向けて薬を減らしていくことにした。

このことが私の人生で最も大きいと言っても過言ではない転機を与えてくれることとなった。

薬の離脱症状により病院でも前例のないような症状を次々と発症。

当然だがこの頃は恋愛なんてどうでもよかった。

本当の意味で生きるか死ぬか。

医者も誰も助けてくれない。

恋がしたいとかときめきたいとか、余裕があるから思えることだったんだと実感した。

生理も止まり体重は急激に減少。

女性らしい体型とは程遠くなった自分の体を見たときに「私はもう一生結婚する事はないんだろうな。一度でいいから恋人ができたときの感情を味わってみたかったな」と自己憐憫や悲しみに襲われてひそかに涙した。

恋愛は無理だと悟らされるような現実を突きつけられ、とてつもなく寂しくなった。

肉体的ハンデを抱えながらも恋愛を楽しんでいる人はたくさんいるけれど、この時の私にとってはショックが大きく、もうダメなんだと真っ暗な絶望を感じていた。

『恋愛できるけどしない』のと、『恋愛ができない』のとでは全く意味が違ってくる。

いくらチャンスに恵まれない青春時代だったとしても、選択肢がある事は幸せなことだったんだ。

できることがあるうちは幸せだったんだ。

本当はたくさんの可能性とチャンスに恵まれていたんだな…

さぁ、反撃のとき

この頃は毎日激しい痛みに一瞬の休みもなく苛まれていた。
母から介護をされるような状態であった。
そのような状態が8年ほど続いた。

まだまだ辛さは残っていたが、その頃には自分の体との付き合い方にもだいぶ慣れてきていた。

遠出したり外食をしたり、少しずつだができることを取り戻していった。

この頃の私は吹っ切れていた。


死を予感させるような経験を経て、「とにかく楽しいことをする、嫌な事はしない!」と心に決め、好奇心のおもむくままに様々な体験をしていた。

自分を解放していく感覚。

体とは裏腹に、心がどんどん自由になっていく感覚。

これまで無視してきた自分の“やってみたい”を“やってもいい”と許可できたことで、芋づる式にやりたいことが出てきたのだ。

そしてやりたいことの中の一つに『恋愛』があった。

体が回復するにつれて以前は諦めていた恋愛に対しても、やってみたいこととして意欲が湧いてきた。

結婚なんてしなくていい。

そもそも結婚願望は昔からなく、結婚したいと思った事は一度もなかった。

なぜ他の人が結婚したがるのか、子供を欲しがるのか全くわからなかった。

生きているだけで満足!

歩けるだけで奇跡!

夕日の中、家路につく人々をとても羨ましく家の中から眺めていたことを思い出す。


普通に外に出ることができる、歩くことができる、話すことができる、仕事に行くことができる。

これは本当に素晴らしいことで奇跡だったんだな。

恋愛も『ただ楽しむ』という経験ができればそれで良かった。

そっか。恋愛は義務ではなくて、ただ楽しむためのものだったんだ。

結婚もその延長で、その経験をただ楽しむためのものなんだ。

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