みなさんは瞑想できますか?
私は瞑想が心と体に良いとは知っていたので何度も挑戦してきたのですが、全然うまくいかなくて挫折しまくってきました。
やりかたが悪いのかな?何か間違っているのかな?
そもそも私には瞑想が合ってない?といろいろ悩みました。

メディアでこぞって瞑想がいいと言われているから、うまくできないと妙に焦ってたな
でも、ある時から急に自分なりの瞑想法に出会えて瞑想ができるようになりました。
瞑想を続けた結果できるようになったのではなく急になんです。
今回はそのことについてお話してみようと思います。
これまで試した瞑想法
これまで私が実践した瞑想法は、よく聞く代表的なものばかりです。
呼吸に集中するもの、マントラを唱えるもの、数を心の中で数えるもの、音に集中するもの。
呼吸に集中していたら呼吸が苦しくなって辛くなり、マントラのフレーズはどれもしっくりこず、数字を数えていてもなぜだかそれがストレスになってくる。
緊張して強張ったり思考が止まらなくなったり痛みが増したりして、どれもうまくいきませんでした。
ヨガにもチャレンジしましたが、線維筋痛症の痛みがある私にとってはハードルが高すぎました。
正直、あぐらをかいてじっと座ってる状態がすでに辛い。
横になった状態で瞑想もしていましたが、横になっていると本当に寝てしまうこともしばしば。
壁やソファの背もたれにもたれかかるのが一番ラクでした。



リラックスするための瞑想が逆に苦しくなるという。
逆効果にもほどがある~
そのなかでも一番気持ちよく感じられたのはグラウンディングやイメージ瞑想でした。
グラウンディングをすると頭がすっきりして体の痛みも緩和されたので、イメージを使った瞑想は私には合っていたようです。
逆にイメージワークが苦手な人には向いていないかもしれませんね。
ただ、イメージも何もなく無になってみたいなとの願望はありました。
ネガティブな体験の中から見つけた瞑想法
その願望はひょんなキッカケから叶えられました。
それは複数のストレスが重なって、ストレスが最高潮になっていた時でした。
ものすごく嫌だけどやらないといけないことがあったり、周囲の音がうるさくて辛かったり、せめてこれだけは実現しないでほしいと思っていたことが現実のものとなろうとしていた時。
表面的には混乱して泣きたいほど辛かったのですが、心の深い部分には全く揺らいでいない自分がいることに気づきました。
これはそのとき初めて気づいたことではなく、昔からたびたび感じていた感覚でしたが今までスルーしていました。
今回は意識的に、その全く揺らいでいない自分に集中してみました。
それをしないといけないほど現実が苦しかったからです。
心の奥底の自分は「いつもどんな時でも大丈夫だ」といつも知っていました。
どんなに動揺することが起きても大丈夫。
そこに集中して、その自分と一致していると安定感と安心感がありました。
ポジティブもネガティブもない、楽しいや悲しいもない、感情がゼロの状態でした。
「この感覚はなんだろう?とても楽だ。こんなに楽になれることってあるのか。ずっとこの状態でいたいな。」
さっきまで私を脅かしていたものたちが全然大したことないことのように思えてきました。
その感覚に浸っていると頭がとてもクリアになって冴えて、ごちゃごちゃした思考はすっかりなくなっていました。
体も明らかに軽く痛みも消えて力が湧き、とても心地よい状態でした。
あれ?もしかしてこれが瞑想…?
頭の中でリセットボタンが押されて不要なキャッシュがクリアされたような感覚でした。
この内側のびくともしない自分こそが本当の自分なのだと感じます。
この時の感覚が忘れられず、それ以降も何度もあの感覚に浸るようになりました。
こうやって不思議な瞑想を始めるようになりました。
私が知らないだけでこの感覚もすでに名前の付いている感覚なのかもしれませんが、正しいとか正ししくないとか関係なくとにかく気持ちよくて心身がリフレッシュできるので自分なりの瞑想法として続けることにしました。
ゼロになる瞑想?内なる自分とつながる瞑想?
名前を付けようとしましたが途中からどうでもよくなりました笑
感情をおろす
ストレスフルな状態から独自の瞑想法にたどり着いたのは『感情をおろす』という感覚を味わったことがキッカケでした。
感情を抑えるでもなく、無かったことにするのでもなく、無くそうとするのでもなく、肩に乗っかっている感情を一旦下におろしてみる。
まるで重い荷物をおろすかのように。
喜びの感情も怒りの感情も、ポジティブネガティブに関係なく等しくエネルギーを使います。
喜びの感情は重くはないけれどずっと味わい続けているとどこかで落ち着く時が来るし、テンションが高い状態のままだと逆に疲れてしまいますよね。
実際に感情をおろしてみると、「こんなにパワフルなものを抱えて生きている人間の強さは並大抵ではないな!」と感じます。
何か出来事が起こってそれに対して怒りの感情を抱いた時、出来事と怒りという感情はしっかりと結びついているように感じられます。
怒りを感じて当然な出来事が起こったから怒った、というように。
だけど実際は結びついてなどいなくて、出来事と怒りの間に気づきにくいけどスペースが空いている。
実際の出来事が怒った後に“怒り”というスパイスを自らが加えている。
“怒り”というのも味付けの一つで、加えても加えなくても良いもの。
素材そのままの味(感情を加えない出来事そのもの)を楽しんでもいいし、怒りという感情を加えて楽しんでも良い。
人間は感情を目いっぱい味わって楽しんでいるんだな~と感じます。
ネガティブな感情も好きで使っているんですね。
だから「怒りを感じなくていいんだよ。怖れを感じなくていいんだよ。反応しなくてもいいんだよ。」と自分に改めてそう気づかせてあげることで、感情をおろすことができます。
感情をおろすとは感情を休めるということ。
これは感情を抑えている時とは感覚がまったく違います。
感情を抑えてる時は外に出たがっているものを無理に抑えて「怒っちゃいけない」などと抵抗しているので苦しみが伴いますが、感情をおろす時はプラスもマイナスもなく、ゼロに戻ってふっと軽くなる感覚があります。
そして目の前の景色が急にが明るくなる。
周りの音もクリアに聞こえ始める。
五感にも影響がすぐに影響が出るのは面白いですね。
そして感情をおろすとそれに伴って思考もおとなしくなります。
なので思考を鎮めようと努めるよりも、感情の方にアプローチする方が早いと思います。
瞑想のステップ
この瞑想状態に入るためにいくつかコツとステップがありました。
姿勢は基本的に胡坐か足を伸ばして床やソファに座ります。
目は瞑らず少し開けた状態のほうが私は瞑想状態に入りやすいです。
目を瞑るとイメージ映像が勝手に出てきて瞑想に集中できない人は、目を開けた方がやりやすいと思います。
でも目を瞑りたいと思ったときは瞑っています。目乾きますしね笑
私は健康のためのラジオ体操をやった後に瞑想をするようにしていたので、息を整えて心を落ち着けるために深呼吸します。
他にも、なかなか瞑想状態に入れないときは深呼吸はとても有効でした。
でも必ずしも深呼吸しなくても大丈夫です。
私はこの時は胸式呼吸で、胸いっぱいに空気を吸い込み肺の中から全部の空気を吐き出します。
そのあと自然な呼吸に戻すと勝手に腹式呼吸へと切り替わっています。
線維筋痛症で痛みがひどく、どうしても体から力が抜けないときにやっていた脱力法。
頭のてっぺんから体の部位に意識を向けていき、全ての部位から力を抜いていきます。
ボディスキャン瞑想と呼ばれるものに近いですね。
自分で思っているよりも体のあらゆる部分に力が入っていることに気づかされます。
とても気持ちよく体の痛みがかなり改善されます。
東洋医学でいうところの気・血・水の滞りを流してしていくイメージをしています。
自分の外側に向いていた意識を自分の中心へ向かわせる。
普通に生きていると自分の外側の出来事に意識が向いてしまいますよね。
暑いとか寒いとか、会社で嫌なこと言われたとか、家族の心配事とか。
その外に向きがちな意識を自分の中心へと戻します。
私は胸の中心当たりの『全く揺れていない自分』と一体化するイメージをします。
そうやって本来の自分の姿に戻ります。
私にとって感情は楽しいもうれしいも悲しいも怒りもすべてエネルギーを使っています。
とても楽しくてテンション高くても、その状態が続くと疲れてしまいませんか?
それと同じでポジティブでもネガティブでも感情を動かすのはエネルギーを消費するのだと感じます。
もちろんうれしいことなどのポジティブな感情は元気を与えてもくれますが、一番エネルギー消費の少ない状態はゼロの状態です。
ゼロ状態になると「ああ、嫌な感情って感じなくてもいいんだ。感情って自分で選んで感じてるんだ」と気づきます。
そして周りの出来事に反応しなくてもいいのだと自分に気づかせてあげます。
それに気づくと周りで起こっている出来事(嫌なこともいいことも)が自分の横をただ過ぎ去っていくだけのもののように感じられます。
あとは目の前にある動かない物体に集中したり、目瞑っていいるときはエアコンや加湿器のの音など一定の音に集中します。
周りの環境音が大きいと集中できないので、静かな場所に行くか耳栓をして音を遮断します。
私はどこか一点を見つめている方が圧倒的に集中できます。
瞑想の時間は何分でもいいと思います。
私は日によって瞑想状態に入りやすいときと入りにくいときがあります。
特に体調不良で意識がはっきりしづらいときは無理に瞑想せず横になって休息をとります。
リラックスするための瞑想が義務になってしまうのは本末転倒ですもんね。


なぜ今まで瞑想ができなかったのか
瞑想がうまくいかなかったときは、一般的に有名な瞑想法を試しているときでした。
他の人のやり方で試しているとき。
でも瞑想のことを知らないときは他の人のやり方を試してみるしか方法はありませんよね。
瞑想がうまい人の真似をしたり、その人の感覚に寄せようとしたりしていました。
奇跡的にうまくいったような気がしても後が続かず…
「きっと私には瞑想は向いていないんだな」と思い、瞑想を全くしなくなりました。
結局この時は自分の内側ではなく、外側にばかり目を向けて人と比べていました。
自分のやり方でいいのだとは全く思わずに。
そして瞑想に対する固執も、瞑想がうまくいかなくなる原因の一つだったと思います。
瞑想するといい効果が得られる!健康になれる!人生うまくいく!みたいなことを期待していたんですね。
当時は健康になれるならなんでもするという気持ちでした。
でも瞑想は副産物的に良い効果が得られるだけであって、今は瞑想そのものが目的なんだなと感じます。
そして他の人の瞑想法ではなく、自分に合った瞑想法を見つけるのが一番です。
それがイレギュラーだったとしても、自分が心地よければそれは大正解です。



瞑想に限らず、他の人ではなく自分の感覚を信じることが何より大切♪
他の人の感覚は参考程度に取り入れるといいね。
まとめ
瞑想は日常のメンテナンスとして、特にHSPさんにはお勧めだと感じました。
HSPではない人でも効果がありますが、HSPさんにはさらに効果抜群でしょう。
私もHSPですが、たとえ好きなことをしていてもものすごく疲れてしまうんですよね。
そしてしばらくダウンタイムが続く…
でも瞑想がうまくできれば自動的に頭にインプットされてしまったメモリを一旦消去できるので、リフレッシュしてコンスタントに活動を続けやすくなります。
今は瞑想継続チャレンジ中なので、今後何がどう変化していくのか楽しみです。


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