先日「HSPという言葉にとらわれすぎないこと」という記事を投稿しました。

これはHSPに限らず、病名でも同じことだと思います。
私は10年ほど前に原因と治療法不明の病気を発症し、当時はあらゆる病院に行きました。
医者には治せないことがわかると自分で情報を集め、それがダメならこれ、これがダメならあれ、と様々な治療法を試してきました。
その経験から、病名と情報の怖さを痛感しています。
「〇〇病は治ることはない」
「△△病を治すのには最低〇年はかかる」
「この手術をした人はあと〇年くらいしか生きられない」
こっちは素人である上に、藁をも掴む気持ちで病院へ行き、その上心身共に疲れ果てているところに医者から言われると信じてしまいます。
病名は便宜上必要だと言うのも理解していますし、私自身の健康状態についてもわかりやすくするために病名を使っています。
ですが病名とは、人間が体の反応に対して勝手に名前をつけただけのもの。
◉私は〇〇病だから△△することはできない
◉私は〇〇病だから□□できなくて当然だ
◉この病を治すためにはこの方法しかない
医者に言われたから、メディアではこう言われてるからというだけで、自ら可能性を減らしていっているように思います。
ただ『前例がない』というだけで医者に助からないと決められてしまってるだけかもしれないのに。
“その医者には” 助けられないかもしれない。
でも、 “あなた自身” にならあなたを助けられるかもしれない。
苦しい時に忘れがちなのが、医者や医療が助けてくれるのではなく、自分が自分を治癒するのだということ。
自分を助けてあげられるのは自分だけだということ。
逆に言えば、自分で自分を救ってあげることができるということです。
その事実を見失わないために。
自分と、医者や情報や常識とされていることにしっかりと境界線を引くことが大切だと思います。

私も医者から「この病気は治ることはありませんよ」とあっさりと告げられたことがあります。
こんなにも苦しんでいる患者に対して、これほどあっさりと絶望的なことを言うものなのかとビックリしました。
期待はしないようにしていたつもりでしたが、さすがにその時は絶望感と悲しみで心が覆われてしまいました。
ですが先ほど言ったように病は自分で治癒するものであり、医者や医療はあくまでサポートなんですよね。医者だって自分の生活があり、そのために仕事をするのは普通のことであり何も悪いことではないんですよね。
手術等で良くなったとしても、その後の生活を守っていくのは自分。
そもそも体質や環境によって、同じ病名でも症状はさまざま。
【〇〇病】という名前だけで全てが決定づけられるものではありませんよね。
自分の体。
自分の人生。
その行く末を他人に預けずに、自分で決める。
数年前に病院の待合室でそう覚悟してから、心と体が急に変わったことを鮮明に覚えています。
私の覚悟に呼応して、体の細胞が一丸となって「よっしゃ!やってやるよ!」と立ち上がってくれたかのようでした。
この時、絶望的な状況なのになぜか楽しくなっていました。
情報の洗脳から目が覚まし、自分で治せることを思い出す。
でもこれは誰にも頼らないということではありません。
薬を処方するだけの医者ではなく、私を見て聞いてくれる医者はたしかに存在します。
そのような医者や支えてくれる人たちの力を借りて、病気する前の自分よりも心も体も健全になっていきたいと思っています。